Sanseido Word-Wise Web [三省堂辞書サイト] » コラム
xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml" xml:lang="ja">漢字の現在 第120回 漢字の現在、単行本に
連載中の「漢字の現在」が単行本として、書店や図書館などに並ぶという幸いに恵まれた。このWEBで読んで、直接、間接に励ましてくださり、また情報をお寄せくださった方々、そして書籍の形に不眠不休で誠実に仕上げてくださった編集の方のお陰である。
連載は、まだまだ続くことになるが、とりあえず第108回までで、1冊にまとめてみた。世に百八煩悩というが、現代日本の漢字を中心として、文字や語から、字体や表記から、内側や外側から、身近なものや縁遠いものから、あれこれと目に付き、気になり、考え悩んだ経過と結果と見れば、なるほどもっともな数だと思う。そのうち、別の媒体に発表したものや、これから形を変えて公刊するものを除き、100回分近くを再編集したものである。
毎回アップしてもらった原稿のままでほぼいいかな、と初めは思っていたが、真っ白な校正紙を目の前に置くと、ついついあれこれと思い当たり、赤字を書き加えたくなる。WEBの画面と紙面とでは、そうとう雰囲気が異なるのである。横書きが縦組みにされただけでも、表情が全く変わってきてしまう。まず、口頭語的な表現は、紙メディアには似合わない。どんどん赤字が入る。画面上では気付かなかった誤植や遺漏も目に付いて、気にかかってくる。
そして何よりも内容も、一新したくなる。その時々で精一杯のことを書いているつもりなのだが、早いものでは4年近く経過した文章だ。私も今回、入稿する時点でその盛り込みは始まっていて、初校に及びそれが極まり、校正紙が真っ赤になるほど速筆による記入をしてしまった。初校だけでなく、再校でもそれは続き、編集や校正の方々には思わぬご面倒をお掛けしてしまい、申し訳ないことだった。そう思いながらも時間の限りそれは続けたのだが、物理的に可能なところまで許してくださった寛容さに、感謝するばかりである。
漢字などの日本の文字やことばを研究していると、これで完成で、もう安泰だ、という時はなかなか訪れない。子供の頃からずっと追いかけていても、追いついたという実感を得ることが難しい。なぜなら、漢字は、過去の情報は調べただけ見つかり、さらに現在も日々動きを止めずにいるからだ。変化や変異を含めて実態を追いかけていきたいので、毎日いや毎時、新鮮な逢着があり、ささやかな発見や思いつきも次々と立ち現れる。
むろん夥しい忘却も並行して起こるのだが、素材に関して新たに考え直すことが続く。変化に富む文字と同時代に生きる我々でも、文字は絶対性や保守性が意識を占めやすく、対象化しえないかぎり常識的な、いいかえると静的で閉じた存在として映ってしまう。その動態に気付きにくいのだ。つまり、今回、単行本化に当たって大いに増補訂正した訳は、テーマが漢字の「現在」だからである。
「ことばは生き物だ」と唱えた命題が聞かれる。「文字も生き物だ」という慨嘆も耳にする。しかし、それらはメタファーに過ぎない。ことばや文字それ自体に、固有の生命があるはずもない。それを生き物のごとく躍動させているのは、ほかでもない人間だ。そしてそれは一握りの政治家や官僚、学者ということではなく、それを読み書きするすべての人々なのだといえる。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、"漢字の現在"を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)。
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【編集部から】
このサイトにて連載中の「漢字の現在」が、ついに、書籍になります。
書籍化にあたっては、連載を再構成のうえ加筆・修正をほどこし、それは、まさに日本の「漢字の現在」を映し出す一冊となりました。
発売は8月23日。これを記念し、笹原先生にひとことお寄せいただきました。
Character "age" (5)
Previously, I began dividing characters into four categories of character "age," of which I introduced the "senior citizen" (part 69) and "baby" (part 70). Remaining are the "youth" and "elder" characters, which are positioned between the "baby" and "senior citizen."
The "youth" uses so-called "youth slang," for example kimokawa(1) (creepy-cute) and panee in place of hanpa de naku (sugoi) (incredible)(2). Actual young people might say: "Kimokawa and panee are already outdated. The new hotness is…." Or they might say "I don't understand youth slang. I don't speak it either." There are various types of youth, but the idealized "youth" character speaks in youth slang.
However, if we turn to more grammatical matters, such as auxiliary verbs and interjectory particles, we find that modes of speech that are specific to "youths" are fewer than expected. For example, the returned rising final intonation of the interjectory particle yo-o (part 67) in bengoshi ga yo-o, zaisan wo yo-o… (the lawyer [did something about] the assets…), cannot be said to be a "youth" mode of speech.
It has always been merely a "vulgar" mode of speech. An "elder" of low class would use it, while a "youth" of high class wouldn't.
However, we can see characteristically "youthful" phenomena in pronunciation. One is the style of saying an entire negative-form adjective with a rising intonation. For example, in seeking for another's agreement, a youth would say kore, karakunai? (isn't this spicy?), using the negative form (karakunai) of the adjective (karai), and pronouncing the entire word with a rising intonation. In other words ka would be said with the lowest intonation, ra a bit higher, ku even higher, na higher still, and i with the highest intonation. This has been denigrated as the abrasive speech style of "youths," but it is not exactly an innovation. For example, when inviting someone to go somewhere, i.e. seeking their consent, one might use a verb in its negative form and give the entire word a rising intonation —ikanai? or ikimasen? (won't you go [with me]?). This mode of speech has been around for a long time, and now it has simply been applied to adjectives.
Looking only at "female" "youth" characters, i.e. "young ladies," we can further observe unique pronunciations. "Young ladies" are the only characters who, upon seeing a small animal or child, will affect nasal speech Iyu-n, kuwayuii (i.e. Iya-n, kawaii -Aah! How cute!) while writhing ecstatically. What on earth is this? If they were imitating the "baby" style in an attempt to sound cute, I'd understand, but even "babies" don't talk like this. Perhaps they are carrying the cuteness of the "baby" style to its logical conclusion, or maybe it is something completely different.
Between the "senior citizen" and "youth" is the "elder." The "elder" may use so-called "middle-aged expressions" like doron suru (sneak away), but it is very hard to find any mode of speech, either in terms of grammar or intonation, that is peculiar to the "elder." Their use of arrogant or obsequious speech is, ultimately, the speech of "superiors" or "inferiors," and is therefore linked to "status" not "age."
In the age groups that fall between the "senior citizen" and "baby," the perspectives of "class," "status" and "gender" probably have more significance than "age."
I already spoke at some length on "class," "status," "gender," and "age" (part 57–). I tried to be as comprehensible as possible, but I am sure my readers have various questions for me. I would like to proceed by anticipating then responding to some of these questions, and thereby supplement my explanation of the forms of verbal characters as I see them.
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(1) Contraction of kimochi warui (creepy/unsettling) and kawaii (cute).
(2) Hanpa by itself means "half," but is often seen paired with the negative –"hanpa ja nai" or "hanpa de naku"– not by "half" or in other words, "very much/incredibly." Panee is apparently a contraction of the last syllable of hanpa and the last part of the casual form of the negative auxiliary verb -ja nee.
An Unofficial Guide for Japanese Characters 73 >>
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:
角色的年龄(5)
我把话语角色的"年龄"分为4类,先后介绍了其中的"老人"(见第69节)和"幼儿" (见第70节、第71节)。剩下的两个类是"年轻人"与"中年人(在此指50、60岁的中年)"。他们位于"老人"和"幼儿"之间。
"年轻人"一般说"年轻人用语"。比如,把"気持ち悪いがかわいい (kimochi warui-ga kawaî, 虽恶心却可爱)"说成"キモカワ (kimokawa)",把"半端でなく(すごい)(Hampa-denaku (sugoi), 厉害)"说成"パねえ (panê)"。不过,在现实社会当中,有的年轻人说"'キモカワ (kimokawa)'和'パねえ (panê)'之类的说法都太旧了,现在(我们都说)――",也有的年轻人说自己"既不知道也不说什么年轻人用语"。但在我们印象中的"年轻人"一般都说年轻人用语。
不过,从助动词或间投助词等语法的角度来观察的话,"年轻人"特有的说话方式却出乎意料地少。例如,像"弁護士がよぉ、財産をよぉ、… (Bengoshi-ga-yô, zaisan-o-yô, 律师啊,把财产啊,…)"中的"戻し付きの末尾上げ (modoshitsuki-no-matsubiage, 回降型尾高)"语调里的间投助词"よぉ (yô)"(见第67节),乍一看像是"年轻人"的说法方式,但仔细观察的话,会发现这其实不是"年轻人"的表达方式。这只不过是种"粗鲁"的说话方式罢了。年纪虽大但说话粗鲁的人会使用这种语调;反而,年轻但说话高雅的人就不使用。
但是,也不是说完全找不到"年轻人"特有的说话方式。"年轻人"用上升语调来说形容词的否定形就是个很好的例子。请想象一下某说话者觉得某食物的味道很辣时,说"これ、からくない? (Kore, karakunai? 这个,不辣吗?)"(形容词"からい (karai, 辣)"的否定形"からくない (karakunai, 不辣)")来向同伴征求同意。这个时候,会将"からくない(karakunai, 不辣)"整体的语调都提高。即,用最低的声音说了"か (ka)"之后,再用稍微高一点的声音说"ら (ra)",在"く (ku)"上更高一点,在"な (na)"上更加高,在"い (i)"上的声音最高,这样说话的就是"年轻人"。
话虽如此,这个语调并非完全是"年轻人"专用的。例如,以动词否定形"行かない? (Ika-nai? 不去?)""行きません? (Iki-masen? 不去?)"来约对方并征求同意的时候,用上升语调来表达动词否定形的方式是早就存在着的。大人们常批评说"年轻人"的"からくない? (Karaku-nai?)"听起来很刺耳。其实,年轻人只不过是把大人们以动词的否定形来征求同意的说法应用到了形容词的否定形上而已。
将话题限定在"年轻人"中的"女人",即,"姑娘"上的话,可以更进一步地观察到独特的发音方式。比如,在看到小动物或小孩子后撒娇似的扭动着身体说,"いゅーん、くゎゅいい (Iyûn, kwayuî)"(いやーん、かわいいー (Iyân, kawaî. 哎呀,好可爱哦))的只能是"姑娘"。这究竟是为什么呢?如果说是为了以可爱的方式说话而模仿"幼儿"的话还可以理解,但问题是"幼儿"并不这样说话。那么,是因为"幼儿" 的说话方式可爱到极点的话,就会成为这种形式的呢?还是其实原本就跟"幼儿"没有任何关联的呢?总之,"姑娘"有这种说话方式。
在"老人"与"年轻人"之间存在着"中年人"。"中年人"说"オヤジ言葉 (oyajikotoba, 老爷子语)",但在语法和发音方面几乎找不到"中年人"特有的说话方式。自大的说话方式或拍马屁的说话方式,归根到底其实就是"目上 (meue, 长辈、上司)"或"目下 (meshita, 晚辈、部下)"的说话方式。也就是说,这些是与"格调"对应的说话方式,而不是对应于"年龄"的。或许可以说,对位于"老人"和"幼儿"之间的年龄段的角色来说,"品 (格)"、"格 (调)"、"性别"所具有的意义远远大于"年龄"吧。
自第57节以来,一直从"品 (格)"、"格 (调)"、"性别"、"年龄"的角度描述了话语角色。我尽量以简单易懂的方式来表达,但读者心中大概仍有很多的疑问吧。今后将回答我所设想到的疑问点,并以此方式来对话语角色进行更深一层的补充说明。
角色大世界――日本 73 >>
これは何のAPIです。author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第162回「「ザンギ」のグーグルインサイト全国分布」
Nationwide distribution of "zangi" according to Google insights
ザンギは北海道特有で、「鶏カラ揚げ」のことです。2010年に某ファストフードでザンギバーガーのセールをやっていました【写真】。
全国の使われ方を見るには、グーグルインサイトが便利です。下図のように、全国地図が県別で出て、ザンギが北海道に多いことが分かります。また、使われ方の変化も折れ線グラフに出ます。少しずつ増えて、2010年秋に急に増えたのが分かります。
グーグルインサイトは方言調査の新手法です。方言差があるか気になることばを検索すると、すぐに地図が出ます。世界地図も作れます。面白い地図が多すぎて、公表の機会が追いつきません。検索で使われたことばのデータなので、よく使われる言い方でないと方言地図が出ないのが難点です。
グーグルインサイトの使い方は、以前に紹介したグーグルマップとほぼ同様です。グーグルマップの使い方は第127回に、活用例は第132, 137, 142, 154, 157, 159回に出ています。また以下の論文にも載っています。
井上史雄「Google言語地理学入門 Introduction to Google Linguistic Geography」『明海日本語16』(リンク先はPDF)
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)
井上史雄(いのうえ・ふみお)
明海大学外国語学部教授。博士(文学)。専門は、社会言語学・方言学。研究テーマは、現代の「新方言」、方言イメージ、言語の市場価値など。
履歴・業績 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/inouef/
英語論文 http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/person/inoue_fumio/
「新方言」の唱導とその一連の研究に対して、第13回金田一京助博士記念賞を受賞。著書に『日本語ウォッチング』(岩波新書)、『変わる方言 動く標準語』(ちくま新書)、『日本語の値段』(大修館)、『言語楽さんぽ』『計量的方言区画』『社会方言学論考―新方言の基盤』(以上、明治書院)、『辞典〈新しい日本語〉』(共著、東洋書林)などがある。
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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。
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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
2011年 8月 5日 金曜日 筆者: 山本 貴光第18回 哲学のエンチクロペディー
ちょっとオオゲサな言い方をすると、日本で最もよく知られている「エンチクロペディー」といえば、それはたぶんヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770-1831)によるものだと思います。
試しに書籍データベースや検索エンジンで、「エンチクロペディー」を検索すると、多くの場合、ヘーゲルの名前とセットになって出てきます。
実際、ヘーゲルは、ハイデルベルクやベルリンの大学で、「エンチクロペディー」という語を冠した講義を行っており、その講義の手引きを刊行しています。『哲学的諸学のエンチクロペディー 綱要(Enzyklopädie der philosophischen Wissenschaften im Grundrisse)』というタイトルですが、しばしば『エンチクロペディー』と略した形で呼ばれています。
この講義は何度か行われ、また、書籍版のほうも、1817年に最初の版を刊行してから、何度か増補されています。日本語訳も複数種類が出ていて、私が目にしたなかで最も古い翻訳は、1905年(明治38年)のものでした。21世紀に入ってからも何種類か出ているほどで、連綿と読み継がれている様子が窺えます。
もう少し具体的に見ると、ヘーゲルの「エンチクロペディー」は大きく三つの部分から構成されています。つまり、「論理学」「自然哲学」「精神哲学」です。
「論理学」とは、人間が世界を理解したり、ものを考えようとする際、どのように思考すれば真理(世界の真相)に近づけるかということを問題にする学術です。また、「自然哲学」では、世界や宇宙の仕組みやありようを探究し、「精神哲学」では、人間精神やその産物である共同体や社会、そこで実践される法や道徳、あるいは芸術や宗教、哲学といったものを見渡します。
言ってしまえば、世界を構成すると目される「物質(自然)」と「精神」の二大要素の全域をカヴァーして、それを人間が思考・理解するための道具となる「論理」を検討にかけようというわけです。これはある意味で、古代ギリシアやローマにおける学術体系のあり方をヘーゲルなりに換骨奪胎した学術全域の姿だと言えます。もちろんこのことは、私たちがここで読み進めようとしている西先生の「百学連環」とも多いに関係するところでもあります。
では、ヘーゲルが言うところのエンチクロペディーとはなんなのか。ここ何回かの検討から、すでにその正体は明らかになっていると思いますが、念のため、ヘーゲル先生の言葉を覗いておくことにしましょう。ヘーゲルは「エンチクロペディー」全体への「序論」で、こんなふうに述べています。
「集大成(エンチクロペディー)」の形をとる学問は、特殊な部分までがくわしく展開されることはなく、各部門のはじまりと、特殊な学問の根本概念との提示をもってよしとしなければならない。
≪注解≫特殊な部分のどこまでを特殊な学問の構成に組みいれたらいいのかは、原則を立てにくい。部分が真理だといえるためには、個々ばらばらにあるだけではなく、それ自体が一つの総体性をなさねばならない以上、どこまで組みいれるか明確な線を引くことができない。哲学の全体は、本当をいえば、単一の学問をなすが、その一方、いくつかの特殊な学問が集まって一つの全体をなすものと見ることもできる。
(ヘーゲル『哲学の集大成・綱要 第一部 論理学』、長谷川宏訳、作品社、2002)
まず注目しておきたいのは「エンチクロペディー」の訳語です。長谷川氏は、従来カタカナで「エンチクロペディー」と音写して済まされがちだったこの語を「集大成」と訳すことで、読んで一応意味の分かる訳文に仕立てています。前例としては、「哲學躰系(エンチュクロペディー)」(小田切良太郎・紀平正美訳、1905)、「哲學集成」(戸弘柯三訳、1930)などがあります。
ヘーゲルはここで、エンチクロペディーが当該学問領域(哲学)の概観を与えるものであること、また、その学問領域を構成する諸学問は、個別ばらばらにあるだけでなく、全体として一つの学問をなすべきだと述べています。これはまさに、ここ数回見てきた他の学術領域のエンチクロペディーと同様の説明ですね。
ただし、ヘーゲル先生はこの後に、同じエンチクロペディーといっても、哲学とそれ以外の学術ではわけが違うのだと強調しています。つまり、哲学以外では、「学問とは名ばかりで、実態は知識のたんなる寄せ集めにすぎない」エンチクロペディーもあると言うのです。具体例として名指しされているのは、文献学(Philologie)と紋章学(Heraldik)です。なにもここでケンカを売らんでも、とも思いますが、かえって気になる存在だったのかもしれません。ともあれ、当時(19世紀初め)の大学において、哲学以外にもいろいろなエンチクロペディーが開講されていた様子が、このくだりからも垣間見えますね。
さて、そろそろエンチクロペディーを巡る旅を終えて、「百学連環」に戻りたいと思います。
次回 >>
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筆者プロフィール
山本貴光(やまもと・たかみつ)
文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That's QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)、ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(
twitter ID: yakumoizuru
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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。
漢字の現在 第119回 日本の孔子廟
総武線でその界隈を続けて通る日々だが、今日はお茶の水で降り、湯島へ向かう。
会議でなく、散策でもなくそこへ行くのは初めてだ。神田川に架かる聖(ひじり)橋は、湯島聖堂だけでなく、正教会のニコライ堂という大聖堂をも指しているとか、儒教からキリスト教までを同じ字で、それも「日知り」に由来するともいわれる和語によって表現してしまう漢字という文字の守備範囲の広さを、改めて実感する。
周辺の様子から考えてみれば、ハノイの孔子廟は、より賑やかだった。東京のそれは建物が黒く塗りかえられたためばかりではない。都心にあって訪れる人の姿も少なく、落ち着きが深いのは、あいにく土日など、施設内の公開日ではなかったためなのかもしれない。
庭には、有名な楷の木が2本見つかった。山東省曲阜にある孔子廟から種が持ち込まれ、育てられたそうだ。書体の楷書の名の元になった木だとされるが、緑の葉が生い茂っていて、枝葉が整然とした、ときに角張って直線的だといわれる枝振りがよく見えない。古文とよばれる書体が全盛の孔子没後に植えられている点や、模範といった字義との関連など、整理が必要そうだ。国立国語研究所にも、湯島の種子が移植されたとのことだったが、立川移転後、今も変わらぬ姿であるのだろうか。
聖堂に、真新しいが、昭和11年の文部省による文言が転記された掲示板が設けられていた。そこには、「混凝立」に「コンクリート」と振り仮名が付してある。
最後の字が「立」ではなく「土」となった「混凝土」は、よく見かけたものだが、これは原文でこうだったとすると、なかなか味わいがある。両字の字体が似ていて、「立」でも発音も近い点が気にかかる。当て字を否定する方針を固め、示していたはずの戦前の文部省による、当て字の工夫だったのだろうか。また、原物まで確かめたくなってきた。
今日は、高校の漢文の先生たちが多くお集まりになっているとのことで、そうした中であえて選んだ日本における漢字の話の中で、昌平坂学問所の故地であることとの関わりから、「濹」(ボク)という字について、触れてみた。林家(りんけ)八代目の林述斎先生が隅田川のほとりに別荘を設けて、漢詩文にその名を記すためにこの字を造ってから、ほぼ200年が経過した。その川は墨田区と同様に「墨田川」とも書かれ、漢学者たちは「墨水」などの雅称を設けていた。述斎は、中国における「河」「江」「漢」「湘」など川の名に対する1字による表現という先例にあやかり、その造字を実践したのだ。そのゆかりの地で、この字が成島柳北によって再び命を吹き込まれ、そして永井荷風の『濹東綺譚』によって、文学史 にその名を残し、文芸だけでなく教科書などを通じてもかなり一般化したことをお話しする機会に恵まれた。これも奇縁であった。
来場された方々に親しみをもって伝わりやすそうで特徴ある例をあれこれと挙げる中で、多様性を極めつづける日本の文字と表記は、人々が十分にはコントロールできない状態にあるという点では、主催者の方々との話でたまたま出ていた原発事故と同じであるが、文字・表記の爆発的な拡大状況を被害として感じる人は、そう多くはないことに気付く。
どのようにポップアップブック漢字は、かつて庶民へ抑圧の力を発揮する苦難の象徴であると同時に、栄達への手段ともなった。古典に残る漢字を崇める現在のベトナムと、生活にありふれた漢字を楽しむ現在の日本。夏の日が少し翳り始めたころ、漢字圏に確かに今なおありながら、ハノイの孔子廟よりも人のまばらな湯島の聖堂を発った。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、"漢字の現在"を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)。
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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「ハノイの街の漢字」でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
2011年 8月 1日 月曜日 筆者: 富井 篤「トミイ方式」の素晴らしさ(続々)
今回は、残った下記の2つの大分類について説明します。
(6) 数量表現別
(7) その他
(6) 数量表現別から
この大分類では、技術文において決して避けて通ることのできない、「数」と「量」に関するさまざまな英文データを収集します。「以上・以下、超え・未満」、「数詞と単位」、「数と量の概念」など、大事なことがたくさんありますが、ここではmore than one ―― について述べます。
なお、以下の説明で「数」とか「量」などとあるのは、英語において、それぞれ「数」または「量」の概念でとらえられる名詞のことを意味しています。「数」でとらえられるならば「可算名詞」、「量」でとらえられるならば「不可算名詞」ということになります。
○ more than one ――
技術文によく出てくる表現としてmore than one ―― があります。この表現を正しく理解するためには、more thanは「以上」ではなく「超え」であること、そして「以上」とは、例えば「5以上」といった場合「5を含んでそれより大きい」ことであり、「超え」とは、例えば「5を超え」といった場合「5を含まないでそれより大きい」ことであること、この2つのことをしっかりと理解しなければなりません。そしてもう1つ大事なことは、―― に「量」ではなく「数」でとらえられる名詞が来た場合、たとえば「車」とか「コンピュータ」などが来た場合には、more than one carとかmore than one computerは、決して「1台以上の車」とか「1台以上のコンピュータ」ではなく、「2台以上の車」とか「2台以上のコンピュータ」とすることです。なぜならば、more than oneが「oneを含まないでそれより大きい数字」ということは、more than one即「2」となるからです。
ところが、―― に「量」でとらえられる名詞が来た場合、例えば、more than one poundという場合、「1ポンドを超えること」即「2ポンド以上」とはなりません。なぜならば、1ポンドと2ポンドの間には、無限の数があるからです。
もう少しつっこんで考えてみましょう。――に「数」でとらえられる名詞が来た場合には、ニュアンスは若干違いますが、数値的に考えた場合、意味的にはmore than one ―― はtwo or more ――sと同じであることが分かりました。それならば両者は、全く同じなのか、どこか違うところはないのかということになります。筆者も、最初は両者の違いがわかりませんでした。ネイティブにも何人かに聞いてみました。しかし、違いを分かりやすく説明してくれるネイティブには、ついにお目にかかることはできませんでした。中には、「違いますよ。more than one ―― はmore than one ―― であり、two or more ――s はtwo or more ――sですよ」といって、決して筆者をばかにしているのではなく、真剣な顔でそのようにいうわけです。よく考えてみると、彼らにとってはそうとしか理解しようがないのです。それを、日本人は、意味がどちらも「2つ以上の ――」であるから、この両者を同じものと考えてしまうわけです。
この両者の違いに行きつくまでは、大分、時間がかかりました。ここでお決まりの「トミイ方式」が出てくるわけですが、この疑問が出てきてから
more than one ―― とtwo or more ――sの例
more than two ――s とthree or more ――sの例
more than three ――s とfour or more ――sの例
more than x ――s とx+1 or more ――sの例
を徹底的に集め、それぞれの英文を精査してみました。その結果、ついに発見しました。more than one ―― は、1を強く意識した上での「2つ以上」であり、two or more ――sは、普通の「2つ以上」であるということが分かりました。
次の例文は「トミイ方式」で集めたものです。
Often, they give more than one name to the same thing.
中・上級者の方は、ニュアンスから考えると次の文ではおかしいことが分かると思います。
Often, they give two or more names to the same thing.
英文を読んでいるとmore than one ―― という表現にはよく出合いますので、「トミイ方式」で片っ端から集めて吟味するとmore than one ―― とtwo or more ――sとはニュアンスが違うということが分かります。このことを理解するには、例文をたくさん集める以外方法はありません。
(7) その他から
この分類は、上記の6つの分類に属さないすべてのデータを入れていますが、ここではパンクチュエーションの中の1つ、「セミコロン」についてお話します。
「セミコロン」の用法には大きく分けて
句や節や文を分割する用法
接続詞としての用法
の2つがあります。ここでは後者の「接続詞としての用法」についてお話しします。
日本語にはセミコロンが無いため、英文和訳の際など、英語に使われているセミコロンを無視してしまったり、日本語にもセミコロンをそのまま使って澄ましてしまったりする人がいます。しかし、セミコロンにはちゃんとした意味があるわけですから、その意味に訳出しなければおけません。ただ、厄介なことに、筆者が今までに集めた範囲内だけでも、therefore(したがって)、however(しかし)、that is(すなわち)、because(なぜならば)、on the other hand(一方)、rather(むしろ)、for instance(たとえば)、補足説明、追加説明、but also(~もまた)、furthermore(さらに)、otherwise(さもないと)など11個の意味に使われます。中には、therefore(したがって)とhowever(しかし)のように、全く反対の意味に使われていることすらあります。
詳しくは、後日、当該セクションの中で例文を挙げて説明しますが、ぜひ「トミイ方式」を駆使してたくさんの例文を集め、ご自分でそれぞれのセミコロンに訳を与えてみてください。そうすれば、英文和訳の際には正しい、自然な日本語に訳すことができ、それよりも大きな収穫は、英文を書く時とか、和文英訳するときなど、セミコロンを上手に使うことができ、ストレスの抜けた格調のある英文を書くことができるようになります。ことによると、さらなる用法も発見できるかもしれません。
これで、この連載の第1回に述べたように、7つの大分類を、1) 学習機能および2) 活用機能から見たエピソードのご紹介を終えることにします。そして次回の第5回では、3) 発表・制作機能という切り口から見たエピソードを、「前置詞」を例にとってお話しすることにします。
【筆者プロフィール】
富井篤(とみい・あつし)
技術翻訳者、技術翻訳指導者。株式会社 国際テクリンガ研究所代表取締役。会社経営の傍ら、英語教育および書籍執筆に専念。1934年横須賀生まれ。
主な著書に『技術英語 前置詞活用辞典』、『技術英語 数量表現辞典』、『技術英語 構文辞典』(以上三省堂)、『技術翻訳のテクニック』、『続 技術翻訳のテクニック』(以上丸善)、『科学技術和英大辞典』、『科学技術英和大辞典』、『科学技術英和表現辞典』(以上オーム社)など。
Character "age" (4)
While discussing the youngest character "age," the "baby," I got sidetracked onto the subject of "verbs + desu." But that's fine. Let's continue with this topic and look at another real-world example of desu attached to a verb.
In Chapter 1 of Jinsei Piro Piro (Kadokawa Group Publishing Co.,Ltd., 2005) Satonao(1) disconsolately writes: "Unlike Osaka, at the Tokyo main office, my coworkers had no time for lunch. Nobody ever invited me to have lunch." After venting his resentment for a while, Satonao adopts the voice of a fictitious reader/heckler, saying to him "Huh? Why didn't you invite them to lunch," to which Satonao replies that he did invite them, but they turned him down. "One day I worked up my courage and invited (osasoi shita desu yo) some of the younger staff." Here, the "verb osasoi shita + desu" is used in the place in the text where Satonao is retorting to, or rather informing, his heckler of what happened. Maybe it's just me, but I felt that this use of osasoi shita desu yo, albeit awkward and uncomfortable, makes the point, and conveys the sense of reopening an old wound, better than osasoi shimashita yo in this retort/report.
In Chapter 4 of the same book, he describes how, although he has eaten six or seven meals that day, he was taken to a Western restaurant by a senior staff member, who recommended the beef cutlet to him. "I ate it with tears in my eyes (nakinagara kutta desu). That mediocre beef cutlet." Again, perhaps only I feel this way, but here too one must use the kutta desu rather than kuimashita (I ate…) when making an uncomfortable account such as this.
Therefore, careful consideration is needed before we dismiss the "verb + desu" form as an "aberration in modern parlance." In fact, "verb + desu" has been around for quite some time.
For example, in Natsume Soseki's Koofu(2), a young, inexperienced man, fleeing his wealthy home in Tokyo, uses expressions such as hataraku desu (I'll work) and yaru desu (I'll do it). When he decides to become a miner at a copper mine, the broker aiding him emphasizes that "miners make a lot of money." For some reason, this seems to makes the man nervous. He shares his immature opinion: "I don't care that much about making money. But I'll do the work all the same (Shikashi hataraku koto wa hataraku desu). As long as it's honest work, I'll do anything (Nan de mo yaru desu)." After being taken to the copper mine by the broker, the head of the worker's camp advises the young man: "you won't make any money, and [the work] will be too hard for you." Rather than admit he's been duped, he claims that he understood this, and volunteered to be a miner anyway: "I knew that. I already knew it (Sorya shitteru desu. Boku datte shitteru desu)."
In Morio Kita's Nireke no Hitobito (1964), Sakuma Kumagoro, the Nire's houseboy, uses this pattern, saying to the Nire's children "Mr. Ooshuu is a remarkable man (sootoo no jinbutsu de aru desu zo), and "Do you know how hard it would be for us to raise a fleet (donna kuroo o shita desu ka)?" Furthermore, getting drunk at a party, he says "I feel that I was born at the Nire Hospital (ki ga suru desu zo)," "By the way, sir, from today I am a Nire (boku wa Nire-sei ni naru desu zo)" and "You fight well, my opponent (naka naka yaru desu zo)." It is well known that the film director Yamamoto Shinya (1939–) used the "verb + desu" pattern.
We can probably affirm that these incidences of "verb + desu" (or at least the recent examples) are close to the speech of the "baby" verbal character, whose "status" and "age" are low. But, they are not as generally recognized as expressions like taberu dechu (I'll eat [infantile]) or wakatta deshu (I understand [infantile]). This indicates that dechu and deshu are more versatile as compared with desu.
* * *
(1) Pseudonym of Sato Naoyuki (1961– ), Senior Creative Director of Dentsu Inc.
(2) English title: "The Miner" 1908
An Unofficial Guide for Japanese Characters 72 >>
author
Toshiyuki SADANOBU.
Professor of Linguistics at Kobe University. Ph.D.: Kyoto University, 1998. Research Interests: Personal Experience in Grammar and Communication.
Selected Publications:
(1) Bonnou no Bunpou: Taikien o Kataritagaru Hitobito no Yokubou ga Nihongo no Bunpou System o Yusaburu Hanashi (The Grammar of Earthly Desires: How Our Desire to Narrate Daily Experiences Shape Japanese Grammatical Systems). Tokyo: Chikumashobo, 2008;
(2) Sasayaku Koibito, Rikimu Repootaa: Kuchi no naka no Bunka (Whispering Lovers and Creaking Reporters: Culture in Our Mouth). Tokyo: Iwanami, 2005;
(3) Ninchi Gengoron (A Cognitive Study of Language). Tokyo: Taishukan, 2000.
URL:
角色的年龄(4)
上一节在介绍话语角色的"年龄"中最低领域的"幼儿"时,不知不觉中话题就转到"动词+です (desu)"上了。嗯,这样也不错。本节就接着上节内容,例举几个动词后面附加"です (desu)"的实例吧。
さとなお (Satonao, 佐藤尚之的笔名) 的《人生ピロピロ (Jinsê Piropiro, 人生琐事)》(2005, 角川文库)第1章中叙述了作者的这样一段苦闷:"与大阪不同,在东京的总公司里,同事们在吃午饭上不怎么花时间。都没人约我去吃午饭"。接着写下一连串的怨愤后,引入了一个像是从读者那里发出来的虚构的逗哏:"您说什么? 我自己主动去约别人不就行了?"。回答这个逗哏,他接着写道自己约过同事却未成功:"ある日、勇気をふるってお誘いしたですよ、若い部員を (Aru hi, yûki-o furutte o-sasoi-shita-desu-yo, wakai buin-o. 那天,我鼓足勇气去约过年轻的同事啊)"。"动词+です (desu)"就出现在这句对逗哏的反驳或是报告中。表达这个触及心灵旧伤的反驳或报告时,他没有使用"お誘いしましたよ(o-sasoi-shimashita-yo,我约过啊)"的形式,而是用了"お誘いしたですよ(o-sasoi-shita-desu-yo)"的形式。正是这种表达方式恰恰非常贴切地表达出了作者既不自然又没有余暇的无奈心情。能感受到这点的一定不只是我一个人吧。
同书第4章还有一段描写作者从一大早开始就吃了6、7顿饭之后,又被前辈约到西餐厅去吃炸肉排的情节。他说:"泣きながら喰ったです。イマイチのビフカツを (Naki-nagara kutta-desu. Imaichi-no bifukatsu-o. 我哭着才吃完那味道一般般的炸肉排)"。在这个没有余暇的报告中,比起"喰いました (kui-mashita)",还是"喰ったです (kutta-desu)"更加贴切。大家也跟我有同感吧。
由此可见,我们需要慎重地去探讨把"动词+です (desu)"简单地当作是近年来才出现的措辞不规范这一观点是否正确。其实,"动词+です (desu)"是从很早之前就存在着的。
トラックをロードしない方法例如,在夏目漱石的《坑夫》(1908)中,从东京富裕的家庭离家出走且不懂人情世故的年轻人说了"働くです (Hataraku-desu, 是劳动)""やるです (Yaru-desu, 要干)"等。年轻人被中介人怂恿着去铜矿山当坑夫。由于中介人过于强调"当坑夫能赚大钱",他反而对挣钱开始畏惧,还说了一些幼稚的道理,"僕はそんなに儲けなくっても、いいです。然し働く事は働くです。神聖な労働なら何でもやるです (Boku-wa sonna-ni môke-nakuttemo, î-desu. Shikashi hatarakukoto-wa hataraku-desu. Shinsê-na rôdô-nara nandemo-yaru-desu. 我不赚那么多的钱也没关系。但是劳动是要劳动。只要是神圣的工作的话,我什么都干)"。之后,年轻人便被中介人带到了铜矿山,工棚头却忠告他"这儿的工作既挣不了钱又不适合你"。但是,年轻人不愿承认是被骗过来的,而是自己志愿要当坑夫的,还虚张声势地说道:"そりゃ知ってるです、僕だって知ってるです (Sorya shitteru-desu, boku datte shitteru-desu.那些都知道,我当然知道)"。
还有,北杜夫的《榆氏一家》(1964)中,有个名叫佐久间熊五郎的榆家书生对榆氏的孩子们说道:"欧州さんは相当の人物であるデスぞ(Ôshû-san-wa sôtô-no jinbutsu-dearu-desu-zo. 欧州可是相当厉害的人物哦)","この八八艦隊を作ろうとして、われわれがどんな苦労をしたですか(Kono hachihachi-kantai-o tsukurô-toshite, wareware-ga donna kurô-o-shita-desuka. 为了组织八八舰队,我们不知付出了多少努力)"。还在,醉后的酒宴席上说道:"ぼくは生まれながらに楡病院にいる気がするですぞ (Boku-wa umare-nagara-ni nire byôin-ni iru ki-ga-suru-desu-zo. 我觉得自己生来就在榆家医院里)";"ところで諸君、今日から僕は楡姓になるですぞ (Tokoro-de syokun, kyô-kara boku-wa nire-sei-ni naru-desu-zo. 大家听好了,我从今天起就要姓榆喽)";"なかなかやるですぞ、敵さんも (Nakanaka yaru-desu-zo, teki-san-mo. 很厉害的哦,敌人也是)"。另外,电影导演山本晋也先生的"动词+です (desu)"说话方式更是众所周知的吧。
综上所述,这类"动词+です (desu)"(至少是近年来的)表达方式是,"格调"和"年龄"都较低的,即接近于"幼儿"角色的说话方式吧。但是,还没有像"たべるでちゅ (taberu-dechu)" "わかったでしゅ (wakatta-deshu)"那样广泛地被认同。我说的"比起'です (desu)','でちゅ (dechu)'和'でしゅ (deshu)'的通用性更高",指的正是这类现象。
角色大世界――日本 72 >>
author
定延利之(SADANOBU, Tosiyuki)
神户大学大学院国际文化学研究科教授。文学博士。
专业:语言学、交际学。现在正在进行的课题:《与人物形象相应的音声语法》的研究、《以日语、英语和汉语对照为基础,制定有益于日语音声语言教育的基础资料》。
著作:《Ninchi Gengoron (认知语言论)》(大修馆书店,2000)、《Sasayaku Koibito、Rikimu Repotaa―Kuchi-no-naka-no Bunka (喃喃细语的恋人、用力说话的报告人―口中的文化)》(岩波书店,2005)、《Nihongo Fushigi Zukan (日语不可思议图鉴)》(大修馆书店,2006)、《Bonno-no Bunpo―Taiken-o Katari-tagaru Hitobito-no Yokuboo-ga Nihongo-no Bunpo Shisutemu-o Yusaburu Hanashi (烦恼的语法―人们想谈体验的欲望会动摇日语的语法体系)》(筑摩新书,2008)等等。
地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第161回「復活を期す方言の有効活用例」
第151回で「東日本大震災の被害」を報告しました。
それらのなかにも,再起を期すものや現実に活動を再開したものがあり,今回は,それらの例を紹介します。
[1]岩手県陸前高田市八木澤商店「おらほの味噌」【写真1】
第151回での被災状況の報告のとおり,同市は市内の平地部分が壊滅してしまいました。
そのなかで同社は,同業者の支援も得て企業活動を再開しています。再開製品には高田松原約7万本のうち1本だけ残った希望の一本松をあしらった「がんばっぺし(GANBAPPESHI IWATE・RIKUZEN TAKATA)」の方言エールを着けています。
[2]三陸鉄道(南リアス線,第81回で紹介)【写真2】
同線も津波の被害を受けました。そのなか,1編成が,鍬台(くわだい)トンネル(全長3,907m)に取り残されたため無傷で,6月24日,最寄りの吉浜(よしはま)駅(大船渡市)に回送されました。復旧には数年を要するということですが,同線は路線の大部分が高台を通り,津波被災地の全滅状態の鉄道では早い復旧が期待されます。
また,同回で紹介した恋し浜(こいしはま)駅(大船渡市)も高台に位置し,健在です。
[3]岩手県宮古市「シートピアなあど」【写真3】
方言ネーミングの複合施設です。「なあど」とは,同地の方言で「どうして」「なぜ」「どのようにして」という意味です。古代語の「なでふ」(読み方[ナジョー])に由来します。
同施設は海に面していて津波の被害は甚大かつ深刻です。それでも,従業員の的確な誘導により,従業員や客など全員が近くの高台に避難して人的被害はありませんでした。私のゼミの卒業生が従業員で,あと数分遅かったら危険であったとの話でした(彼女の実家は流失)。
施設全体は営業停止中ですが,そのなかの一部,農産物産直部門だけ,場所を変えて営業を再開しました【写真4】。
[4]宮城県「うまいっちゃ! みやぎ亘理 仙台いちご」【写真5】
方言メッセージ入りの亘理町(わたりちょう)と山元町(やまもとちょう)の名産のいちごです。産地の94%と箱詰め場(亘理町)が壊滅的被害を受けました。しかし,被害を免れた地区を中心に出荷を継続しています。詳しくは,宮城県亘理農業改良普及センターの「仙台いちご出荷継続のニュース」で報告されています。
* * *
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)
田中宣廣(たなか・のぶひろ)
岩手県立大学 宮古短期大学部 准教授。博士(文学)。日本語の,アクセント構造の研究を中心に,地域の自然言語の実態を捉え,その構造や使用者の意識,また,形成過程について考察している。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。著書『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』(おうふう),『近代日本方言資料[郡誌編]』全8巻(共編著,港の人)など。2006年,『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』により,第34回金田一京助博士記念賞受賞。『Marquis Who's Who in the World』(マークイズ世界著名人名鑑)掲載。
* * *
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載。
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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
2011年 7月 29日 金曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第118回 ハノイの街の漢字
・漢字
ベトナムの風景の特徴として、ローマ字だらけの街の中で、古典中国語すなわち漢文を表記するために漢字がところどころで用いられていることが挙げられる。ハノイやその周辺では、漢文が街じゅうに見られる点が日本と異なっていた。中国の都市部よりも多いのかもしれない。対聯のように「…国泰 …民安」などと門の左右に、ここでは達意の筆字で縦書きされている。ベトナム人による作文もあるようだ。漢文は、概して文語的、外国などでは翻訳語文的な文体的特徴を持つ文章を構成する。中国語音で上から下へと読むか、ベトナム漢字音で上からお経のように直読するかである。それは、特別な表現効果を企図し、受容を狙ったことによる表記という点も考えうるが、漢字が読めず、漢文も読めない圧倒的多数を占める層� ��らは、ただの漢字の羅列としてしか受け止められていないのであろう。
ベトナムでは、「南無阿弥陀仏」も「ナムアジダファット」と読み、かの「般若心経」も上から下へと音読みで直読するのは他の漢字圏とほぼ共通しているが、漢文のような漢字列をベトナム漢字音で直読した語(第26回 「不得已」など)や慣用表現・諺(「富貴生礼儀」など)も多く、「首長要求全中隊集合」という発話でも、皆に通じるそうだ。これは、漢文が学校教育から閉め出されつつも、「開栓後要冷蔵」「体育館利用者以外駐車禁止」が耳で聞いて分かるという面をもつ日本語でも、そこそこ共通する話だが、ベトナムでは文法機能を表す「因」「雖」「被」なども漢語のまま定着している。ただ、純粋な漢文では、詳細で正確な伝達は困難な場合がほとんどだろう。
やはり気になるのは、現代のベトナム語という言語を漢字で表記しているのか、という点である。現代のベトナムでの、現代の言語に対する漢字使用については、どうであろうか。
看板の類では、文章というよりもキーワードや固有名詞を、ロゴのようにして用いている。本の背表紙には、古くに見られた下から上へと向かうような字の配列のレイアウトをもつものもあった(第112回)。
ベトナム人向けには、字義とその醸し出す雰囲気だけを伝えるような使用が目立つ。額縁に「福」「徳」などと書くと説明してくれた先生は、「徳の意味は?」とお聞きになった。日本・ベトナムの漢文の専門家が日本語では対応するものが確かにはっきりせず、日本語の「しつけ」に当たるかとも尋ねていらした。
大震災に伴う原発事故で、福島(フクシマ)の名を上げて心配してくださった。ベトナム語の「福」(フック)と同じ福であることにはお気づきでないのだろう。思えば、福井、福岡と、和語に前接して複合する形をもつ県名ばかりだ(方言アクセントに特色のある地域と重なるのも奇遇だ)。中国の「福」は、それほど、漢語のよそよそしさを捨て、日本人の暮らしの中にも溶け込み、人々の慣れ親しむところとなった概念だったのだろう。安定感があり、少し下膨れしたようないかにも福々しいこの字体は、何かしら人の表情や容姿と重なって感じられもするのだろうか。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)などがある。最新刊は2010年10月に発売、"漢字の現在"を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)。
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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「街中で見るローマ字」でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
2011年 7月 29日 金曜日 筆者: 山本 貴光第17回 文献学のエンチクロペディー
エンサイクロペディア/エンチクロペディーという名前を冠した講義について調べているうちに、18世紀後半から19世紀のドイツの大学で、実際にそうした講義が行われていたという手がかりを得たのでした。
なるほど、そのつもりで文献やネット上のアーカイヴを検索してみると、たしかにいろいろな領域で「エンチクロペディー」なる講義が開催されていた痕跡が見えてきます。そうした文献から分かることを総覧・整理できるとよいのですが、量も量なので、これは別の機会に譲りたいと思います。ここでは「百学連環」を読むことに資する「エンチクロペディー」講義をご紹介してみましょう。
まず一つめは文献学(Philologie)です。この学術もまた、もっぱら18世紀から19世紀のドイツにおいて鍛え上げられた領域の一つで、日本でもよく知られている人物で言えば、ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844-1900)なども、古典文献学の研究から出発した人でした。
文献学とは、ある文化に関する文献を通じて、そうした文献に書かれた先人たちの世界の見方、世界の認識の仕方を広く研究する学術です。なにしろ「文献」が対象ですから、その内容は、哲学や文学はもちろんのこと、神話、宗教、美術、あるいは現代でいう科学なども含む幅広いもので、総合的に文化を捉えようとする領域なのです。
この学術領域を大成させた学者にフリードリヒ・アウグスト・ヴォルフ(Friedrich August Wolf, 1759-1824)とアウグスト・ベーク(August Böckh, 1785-1867)がいます。ヴォルフは、ベークの先生でもあります。
ヴォルフは、ハレ大学とベルリン大学でその名も「古代研究に関するエンチクロペディーならびに方法論(Encyklopädie und Methodologie der Studien des Alterthums)」という講義を行って、それに基づいた書物『古代学の叙述――その概念・範囲・目的・価値(Darstellung der Alterthums-Wissenschaft nach Begriff, Umfang, Zweck und Werth)』(1807)〔ただし左記リンク先は、同書を含む別タイトルの書物〕を刊行しています。同書で、ヴォルフは、彼が考える「古代学」を構成する24もの学術を解説し、まさに「古代学」という学術の全体像を示すのです(前掲書75-76ページに一覧あり)。ヴォルフの場合、ホメロスなどの古典古代が専門ということもあって、文献を通じた古代学という形をとっています。
もう一人のベークもまた、ハイデルベルク大学やベルリン大学で行った講義に基づく書物『文献学的諸学問のエンチクロペディーならびに方法論(Encyklopädie und Methodologie der philologischen Wissenschaften)』が没後、弟子の手によって編集・刊行されています。ありがたいことに、同書の一部は、安酸敏眞氏によって翻訳・注解が施されています(以下では、その訳文をお借りしています)。また、安酸氏による「アウグスト・ベークと文献学」は、ベークの生涯や仕事とその意義を説いたもので、大変参考になります。付録として、ベークの講義目録もついています。
特にベークの講義は、「序論」でまず「文献学の理念、またはその概念、範囲、最高目的」を論じた後で、「とくに文献学に関連してのエンチクロペディー概念」「文献学的な学問のエンチクロペディーについての従来の試み」「エンチクロペディーと方法論の関係」と論じる念の入りようで、「さすがは文献学!」と喝采したくなる内容です。
今回、他の領域の「エンチクロペディー」もいくつか覗いてみました。どの講義でも、冒頭近くで「エンチクロペディー」という言葉(ドイツ語)の来歴がラテン語を経由した古典ギリシア語であるといったことは書いてあります。しかし、ベークによる解説は、ひと味違います。アリストテレスやイソクラテスといった人びとによる古典ギリシア語での具体的な用例や、クインティリアヌスやウィトルーウィウスらによるラテン語への翻訳などを検討しながら、エンキュクリオス・パイデイアの持ついくつかの原義を確認したうえで、こうまとめています。
すべてのことにおいて何かを知っていない人は、何事においても何かを知ることはできない、と古典古代の人々は考えた。彼らのエンキュクリオス・パイデイア(Εγκυκλιος παιδεια)はそこに由来する。
(「文献学的諸学問のエンチクロペディーならびに方法論」、安酸敏眞訳、
「北海学園大学人文論集」第41号、p.58; 原書、p.36)
全体を知らずしてその部分をよく知ることは叶わない、そんなふうに言い換えてもよいでしょう。これはまさしくベークが行おうとしている講義としての「エンチクロペディー」の目指すところでもありました。つまり、文献学なら文献学という学術には、いろいろな「特殊的な部分」(speciellen Theilen=専門的・個別的な部分)があるけれども、文献学のエンチクロペディーでは、文献学について「一般的な叙述」(allgemeine Darstellung=全般的な描写)をなす、というわけです。
実際、ベークの文献学には、「年代学、地理、政治史、国家論、度量衡学、農業、商業、家政、宗教、美術、音楽、建築、神話、哲学、文学、自然科学、精神科学、言語」といった諸学術が網羅されており、これらが一種の体系として関連づけられています(安酸敏眞「アウグスト・ベークと文献学」、「北海学園大学人文論集」第37号、p.151。また、同論文の付録2「アウグスト・ベークの文献学の体系」も参照)。安酸氏の言葉をお借りすれば、誠に「壮観なる文化科学の体系」であり、この文献学自体が一個の「百学連環(エンサイクロペディア)」というべき広がりを持っています。西先生の「百学連環」目次に並ぶ「百学」の数々と並べてみても、相当部分が重なり合っていることも分かります(そうした比較はこの連載の終� �りのほうでしてみるつもりです)。
従来の書物に加えてディジタル環境の下で、縦横に文献を検索・味読できる現代においてこそ、こうした文献学の叡智は再活用されるべきものではないかと思いますが、それはさておき、数ある「エンチクロペディー」の中から特に文献学のエンチクロペディーを選んでご紹介した所以です。
次にもう一つ、ヘーゲルの「エンチクロペディー」について述べようと思ったのですが、長くなりましたので次回にしたいと思います。
*今回の原稿を書くにあたっては、上記の他、斉藤渉「新人文主義――完結不能なプロジェクト」、曽田長人「ドイツ新人文主義の近代性と反近代性――F・A・ヴォルフの古典研究を手がかりに」の二つの論文から多くのことを教えていただきました。記して感謝いたします。これらの論文は共に『思想』第1023号「ドイツ人文主義の諸相――近代的学知の淵源を探って」特集(岩波書店、2009)に収録されています。特集全体も充実した素晴らしい号でした。
次回 >>
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筆者プロフィール
山本貴光(やまもと・たかみつ)
文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That's QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)、ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(
twitter ID: yakumoizuru
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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。
第8回 呪文のふたつのかたち
前回,呪文の特徴として分かりにくさを取り上げました。この難解さに着目すると,呪文はふたつのパタンに分けられるようです。真正型と普及型と呼ぶことにします。
まず,真正型の呪文の例として光明真言を取り上げましょう。法事で繰り返し唱えられるのを聞いた方もいらっしゃるのでは?
(7) オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラマニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン
光明真言とは,大日如来(もしくは金剛界五仏)に対して光明を放つように祈願するもので,仏の光明によってさまざまな罪報を免れることを勧請します。
(7)の原典はサンスクリット語で,中黒で区切られた各部分が梵字1字に対応しています。その由来はどうあれ,一般の人には最初から最後まで解読不能です。そして,術者(僧侶)はこれを唱えるにあたり,たいていその効用(功徳)について信じています。難解であることと術者が効用を信じていること,それが真正型呪文の特徴です。
他方,このふたつの特徴が完全には成り立たない種類の呪文もあります。それが普及型呪文です。よく知られたものとしては以下のものがあります。
(8) ちちんぷいぷい,イタイのイタイのとんでゆけぇー
この呪文,懐かしくないですか?
子どもが幼い頃,私もお世話になりました。「イタイのイタイのとんでゆけぇ」とやっておいて,「あっ,イタイの戻ってきた」と一度子どもを怖がらせる。そして,戻ってきた「イタイの」を手でとらえてパクッと「食べちゃった」というふうにアレンジしていました。これだけ入念にやりますと,子どもの気も紛れるというものです。
「気も紛れる」と書きましたが,この呪文で本当に痛さが治まるとはさすがに信じていませんでした。子どもを暗示にかける,もしくは,少なくとも痛さから気をそらすためのことばです。つまり,術者はその(1次的な)効能についてまじめには信じていません。
さらに,「ちちんぷいぷい」の部分は呪文らしく意味不明ですが(その由来については有力な説があります),その後の「イタイのイタイのとんでゆけぇ」は,はっきり意味がわかります。後半部分が呪文の効能を伝えるおかげで,何の呪文であるのか理解できます。この点が普及型呪文のもっとも重要な点です。
要するに,普及型呪文は,それが何の呪文か聞いた者に理解できるという特徴を持っています。しかも,とくに現実世界で唱えられる場合は,術者が効能についてまじめには信じていないことが多いのです。
この普及型呪文は,フィクションの世界においてよく観察されます。前回,例に挙げた「テクマクマヤコン」もこのパタンをなぞります。アッコちゃんは変身する際にコンパクトを出して,たとえば,こうやるわけです。
(9) テクマクマヤコン,テクマクマヤコン,レディー・ガガになぁーれ。
「テクマクマヤコン」は何のことやらよく分かりませんが,「レディー・ガガになぁーれ」なら,レディー・ガガに変身したいのだな,と誰にも理解できます。
次回はこの普及型呪文に見られる必然性について確認し,なぜ,フィクションにこのパタンがよく出現するのか考えてみましょう。
次回 >>
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【筆者プロフィール】
神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。
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【編集部から】
雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。
第91回 「湿」と「溼」
新字の「湿」は、常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「溼」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。つまり、新字の「湿」は出生届に書いてOKですが、旧字の「溼」はダメ。こうなってしまった原因には、俗字の「濕」の存在があるのです。
大日本帝国陸軍が昭和15年2月29日に通牒した兵器名称用制限漢字表は、兵器の名に使える漢字を1235字に制限したものでした。陸軍では、おおむね尋常小学校4年生までに習う漢字959字を一級漢字とし、これに兵器用の二級漢字276字を加えて、合計1235字を兵器の名に使える漢字として定めたのです。この二級漢字の中に、新字の「湿」が含まれていました。
漢字制限に関する審議をおこなっていた国語審議会は、昭和17年6月17日、文部大臣に標準漢字表を答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、2528字が収録されていました。しかし、この2528字には、新字の「湿」も旧字の「溼」も含まれていませんでした。その代わり、俗字の「濕」が、標準漢字表には収録されていました。国語審議会は、戦後もこの方針を貫き、昭和21年11月5日に答申した当用漢字表でも、俗字の「濕」を収録していました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、俗字の「濕」は当用漢字になりました。
昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、俗字の「濕」が収録されていたので、「濕」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。この時点で、新字の「湿」も旧字の「溼」も、出生届に書いてはいけない字となってしまったのです。
当用漢字字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。活字字体整理案では、俗字の「濕」を新字の「湿」に整理することが提案されていました。これを受けて、国語審議会が昭和23年6月1日に答申した当用漢字字体表では、俗字の「濕」の代わりに、新字の「湿」が収録されたのです。
昭和24年4月28日に、当用漢字字体表が内閣告示された結果、新字の「湿」が当用漢字となり、俗字の「濕」は当用漢字ではなくなってしまいました。当用漢字表にある俗字の「濕」と、当用漢字字体表にある新字の「湿」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、俗字の「濕」も新字の「湿」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。 しかし、旧字の「溼」は、相変わらず子供の名づけには使えなかったのです。
その後、常用漢字表の時代になって、新字の「湿」が常用漢字になると同時に、俗字の「濕」も人名用漢字になりました。でも旧字の「溼」は、常用漢字にも人名用漢字にもなれませんでした。それが現在も続いていて、「湿」と「濕」は出生届に書いてOKですが、「溼」はダメなのです。
【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)、『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
で、断続的に「日記」を更新中。
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