エンジニアインタビュー|エンジニア専門の転職支援はメイテックネクスト
−仕事内容を教えてください。
オートマチック車のコントロールユニットに搭載されているプログラムの設計をしています。オートマチック車は「車」として動かすとき、燃費や乗り心地の良さが重要になります。環境のことを考えると、ある程度はエコノミーな動きをしなければなりませんが、乗っている人が不快に感じる動作をしてもいけませんので、いかに効率よく、ドライバーが求める動きをさせるかという部分に重点を置いて設計をしています。
また、今までは仕事を自分で行って納めるという流れだったのですが、最近は、後輩の指導や教育もやらせていただいています。若いエンジニア達が育っている姿を見ると、やっていて良かったなと思います。
アジア料理市場スーフォールズ、SD
−和田さんが仕事を行われる上で心がけられていることは何でしょうか。
自分が設計したものを搭載した物体が、道路で走るのを目の当たりにしますので、最初はカルチャーショックを受けました。プログラマーとして、自分の設計したソフトウェアが動いているのは当たり前のことですが、今、私が設計しているものは、時として人を傷つけるものに変わってしまう恐れがあります。車にプログラムを搭載するということは、人の命を預かって動くものの中に部品を入れるということなので、自分の設計ミスが人命に影響するかもしれないという危機感を持っています。そういう意味で、とてもシビアな仕事であり、慎重にならざるを得ないので、精神的な面で最初はつらかったです。勿論、今でもこの緊張感はありますよ。
メノモニーフォールズエンターテイメント
−和田さんがエンジニアとして心がけていることは何でしょうか。
小学生の頃から技術者になりたいと思っていました。親戚と一緒にショールームに出かけ、マイコンに接する機会があったのですが、世の中にはすごいものがあるなとショックを受け、同時に、プログラムを組んでみたいと興味を持ち始めました。ですから、今までの人生の半分以上をプログラムを組んで過ごしてきました。こんなことも、あんなこともできるということがわかってくると、どんどん面白くなり、プログラムに対する好奇心はより一層膨らみます。小学生の時に味わった感覚と今とでは全く違うものですが「どうなってるんだろう?」という好奇心は、昔も今も同じです。好奇心がなくなってしまったら進歩はありませんので、この気持ちは生涯、変わらないでほしいと思っていますし、意識しなくても持てる自分でいた� ��です。
痛みのタトゥー
−今後のキャリアアップをどのように考えていらっしゃいますか。
ずっと技術者でいたいと思っています。一昔前には、プログラマーの寿命は30歳、35歳が定年だと言われていました。しかし、私は今年で36歳になりますが、まだまだプログラマーとして一線でやっていますし、40歳、50歳になってもプログラムを組んでいたいです。今までの経験をもとに、より高度なプログラムやシステム設計ができるような技術者でありたい、また、そのために何をやらなければならないかということを常に考えていきたいと思っています。これが、私の理想であり、夢であり、目標です。
−他のエンジニアに伝えたいことはありますか。
「仕事」というのは、やらされるものではなく、自らやるものです。結局、やらなければならないのであれば、楽しくやった方がいいですよね。仕事をさせられているという感覚よりも、自分の求めたものに向かって一生懸命に努力しているという感覚で、取り組んでみてはいかがでしょうか。仕事もプライベートも、自分でゴールを決め、それに向かって最大限の努力をする姿勢を忘れないでほしいです。
また、一度やり方を覚えた仕事があっても、同じやり方に則ってするのではなく、スピードや効率の良さを常に追求していってください。常に新しいことを考えられるような新鮮な気持ちで、物事に取り組んでほしいです。同じような仕事でも、「今回が初めて」という気持ちでチャレンジすることを忘れないでほしいですし、私もそうやってきました。手を抜いたものに限って、問題が起こったり、痛い目にあったりするものです。疲れるかもしれませんが、決して手を抜かず、何事にも全力投球することが大切です。達成感を得るためには、それなりの苦労はつきものです。大変なものほど、やり遂げたときの充実感はとても大きいです。「楽しい」と思えるのも「よくやったな、自分」と褒めてあげられるのも、そのときですよ。
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